最近のこと

かってなブログ

私はチケットを都度払うタイプのジムを利用している。

昨日は祝日だったため、(天皇誕生日でしたね。)

いつも行くことができない木曜日のレッスンを受けようと

ジムに行った。

朝からジムの前にたくさん人が並んでいた。

オープンするだいぶ前から人が並んでいてびっくり。

私も15分前に到着したのだがそんな風に並んでいるとは思わず。。

レッスン1時間前に配られた整理券がないと

私が受けたいレッスンは受けられない。

レッスンに行ってみてわかったこと。

他の曜日の生徒さんたちがとにかく集まっていた。

人気は一番だと思った。

先生もいい感じの人だったし 先生のレッスンは初めてだというと

気にしてフォローしてくださっていた。

恥ずかしかったけれど、ありがたかったなぁ。

その日はついでとばかりに

人気のレッスンがもし取れなかったら・・・と

午後からのレッスンにも目をつけていたので

そちらのレッスンを受けることにした。

が 

人気がないと他の生徒さんが言っていた通り

まったく先生が好きになれなかった。

私が他の人たちとは雲泥の差で まったくレッスンについていけなかったら

 

イライラしていた。

 

基本を応用してるだけですよーーとかってなんか聞こえたwww

 

あせがたくさんかけたし

何回かトライすれば楽しくできそうな気もする種目だったけど

レッスン後にも 感謝の気持ちを伝えにいったのに

無視された 笑

そんなことされたら そりゃいやになるぜぇー

まぁ平日なので行くことはなかなかないと思うけれど

覚えておくぜ K先生

ふーんだwww

 

 

地元のことを書いているブロガーさんがいる。

友達から教えてもらったのだが

私はいつも見ているわけではないけれど

存在はなんとなく知っていた。

でも

それほどの興味はなかった。

近所に新しいお店ができていたので

その友達に なんだか新しい看板見たのだけど

しってる??

と聞いたら

ちゃんと知っていた。

そのブロガーさんがすでにそのお店のオープンのことを

記事にしていたそうだった。

普段は地元から出て仕事をしているので

地元のことはあまり知らない。

仕事場の周りのことも 知らないけどね。

好奇心はあるのだけど

興味があちこちにあって

それこそ 目の前のことで手一杯になってしまうので

物事を大きくとらえられない ちっちぇー人間なのかもしれないなぁ。

でも だからといって

不自由を感じたことがないから

ま いっかと思う。

昨日は旦那がヤンニョムチキンを作ってくれた。

鶏肉の安いスーパーで鶏肉を大量に仕入れたので

唐揚げを作ろう

と張り切っていた旦那だったのだが

私がつい ヤンニョムチキン 食べたいなぁと言ってしまったので

旦那はそれを指名だと思い?

唐揚げのお世話をしている私の横で

きっちり 辛いソースを作っていた。

唐揚げの衣が からっと上がって

そこに辛いたれが かむとジュワっと肉汁が

・・・・

そんなジューシーさも さくさく加減もなかったけれど

とっても美味しい ヤンニョムチキンだった。

2人で ひたすら食して

炊きあがったごはんもお代わりして食べた。

ひたすら食べた。

とにかく 美味しく食べちゃった。

ふと 箸をとめたら

もっともっと食べたかった私の食欲が止まってくれたので

ほっとした。

いくらでも食べちゃえる勢いだった。

大男(旦那)がむしゃむしゃ食べている横で

同じようにむしゃむしゃ食べている私の様子をみて

よく食べるよねぇ。 普通の女の人よりも食べる量多いよね?

と 今更確認いる??ってくらい

わかってるよ。 私だって。

食べすぎなの。

特に ここんとこ

食べすぎてるよ。

来月 大事な会があるっていうのに

食べすぎだよ。

明日からダイエットだって思ってるよ。

体操もしてないし 腹筋だって ストレッチだって

なーーんもしてないよ。

ゆるゆるだったウエストのパンツも ぎゅーぎゅーだよ。

やっべーよ。

洋服買いに行きたいけど 試着したくないもん。

ってことで

現実逃避して ブログを終えます。

そうだ 日記も書いてないなぁ。

なにしてんだろうなぁ 私。 お仕置きだぞ

死ぬまで現役 という言葉があるが

その言葉通りになさった方の葬儀があった。

私は直接に面識はなく 話だけしか聞いたことがないが

その人は内科医であった。

主人は ドクターコトーのようだな。と言っていた。

私はそこまでじゃないかも とは思ったけれど

人は亡くなると美化されるから そう言ってもいいかな。

代々続く医者だったそうだ。

息子さんもお医者さんらしいが、私の知る限り

息子さんの活動する場所は不明。

跡を継がずに、その医院は閉鎖する運びとなった。

しかし 閉鎖は昨年末であったので

お亡くなりになる寸前まで 医者として

患者さんに寄り添ってきた方であろう。

私はそこの患者ではなく (そもそも医療機関にかからないので)

主人や義母のかかりつけであった。

時にはお薬をもらいに行くぐらいで、

先生とお会いしたことすらないので、どんな方かも知らないのだが。

それでも お亡くなりになる間際までしっかりお仕事をして

地域に貢献されてきたことは

この地域の人たち 誰しもが知ることだと思う。

生涯現役・・という言葉を多言語に訳す時

日本人と同じような感覚はない・・・とある外国の方に

言われたことがある。

そんなもんなのか・・と驚いたことがあるが

その外国の方の感覚だから、同じ国の人がみんなそうではないかもだが。

コロナワクチンやインフルエンザワクチン等をしっかり引き受けて

いらした先生がいなくなってしまって

さぞかし患者さんたちは不便だろうなぁと思う。

主人が葬儀に出席した際 奥様とお話しする機会があったそう。

責任を果たせずにすみません と言われたそう。

奥様もきっと先生を支えて ここまでいらしたんだろうなぁと

発する言葉で察することができた。

きっと 先生のことは語り継がれていくのでは と思った。

そして

先生の遺志をついで あの医院を復活できる日が来るといいなぁと

思った。

いつまでも子供

山口百恵さんの歌に

♪ いつまでもあなたの子供でいさせてください♪ という歌詞があるけれど

私もこんな年になっても

そんな気分になっている。

 

先日、妹の家に行って 色々と手伝ったのだが

母も来ていて ランチをごちそうになって

それでも恐縮していたのに

帰りにユニクロに行きたいと母が言うものだから

一緒にお買い物をした。

ついでに 私は買おうかどうしようか迷っていた

カシミヤのセーターの売り場に行き 色々と見ていたら

母が一緒に買ってあげますよ。。と言ってくれた。

ユニクロ無人のレジははじめてだったらしく

それを体験させてあげるという名目もあったけれど

私はちゃっかり 母からセーターを買ってもらった。

そしたら なんだか とってもとっても幸せな気分になった。

そして 毎日のようにそのセーターを着て

自然とにまにましている自分に気が付いた。

 

いつまでも 子供なのかなぁ。。

 

そんな思いがした。

つい先月 母が私には合わないから 

あなた着てくれる?とお洋服を渡されたが

私が着るにはちょっと・・・と悩んでしまうような

個性的な?お洋服で

まだ袖も通してもいない洋服があるけれど

それとは違って

自分が欲しかったお洋服を 母に買ってもらえたことが

むしょうに嬉しかった・・・・ みたいだ。

自分では あまり意識してなかったんだけどね。

 

私が嬉しいのだから

きっと 息子たちに同じことをしたら

嬉しいに違いないぞーと思ったけれど

違うかも。

彼らはまだ 奥さんであり

彼女からの🎁のほうが嬉しいだろうな。

母親からの贈り物ににまにまするのは

やはり もっと先のことなのかもしれない。。。

 

母から買ってもらった ユニクロのセーター

きっとずっと大事に着ちゃうと思う。

さて また母が喜んでくれる企画を考えよう。

まだ寒さが厳しいけれど 親孝行しなきゃだよね。

 

先日 クラシックのコンサートに行きました。

クラシックのコンサートに行くのは初めてではなかったのに

なんだか とってもとっても心地よくて

感動してしまいました。

きっとピアノだけじゃなくて オーケストラの演奏が良かったのかもしれません。

オーケストラの音色は これまた色々な会場で聞いてきたはずなのに。

ピアノとオーケストラの演奏がとてもとても私に感動を与えたのでした。

もしかしたら 年をとったのかもしれませんが

長年 クラシックピアノを習ってきて

クラシックの良さを分かっていたつもりではあったのに。

あのピアニストの音が気に入ったからかもですけどね。

追っかけしちゃおうかしらねぇ。。

それにしても いいコンサートでした。

また聞きに行きたいな。

 

思いがうまく伝わらないとき

あほか?

そういいたくなるけど

私があほなのかもしれないなぁ。

でもさ

あっちはプロよ?

こっちはど素人。

だったらさぁ?

あっちが優しくこうですよ?わかりますか?

みたいなさ

そういうスタンスでもいいんじゃないの?

私 わからないから聞いてるのよ?

あなた お金もらって仕事してるんでしょ?

まぁ 雇われだから 実際 あなたには資格はないみたいだけどね。

怖くて聞けないけど。

 

 

彼の記憶に残っていたらいいなぁと漠然と思っていた。

しかし 私が思う程の痕跡は残っていないようだった。

そうなんだよな。

それが一番ショックだった。

彼が今 私が想像していたような人生を送っていなかったのに

その人生のことよりも

変わってしまった彼の存在にすら

あまり関心はなかったように思う。

そして 彼の心の私があまりにも小さく大事にされていなかったのが

とても残念だった。

だから

だから 私はずっとそのことがショックで考え続けているのかもしれない。

もし 彼が私の想像通りに幸せになっていたら

私が想像範囲内で 幸せになってくれていたら

私はすぐに忘れられたのになぁと思う。

私はただ 執着しやすい人間なのだと思う。

ゲッターズ飯田さんの五星三心の占いのように

過去の恋愛にひきづられるタイプだとわかったとしても。

私は そんなんじゃない。 私はあなたにとって

大事な人なんでしょ? 大事な人だったよね?

必要な人だったよね???

そういわれたいだけなのかもしれないと思う。

純粋なアイではない。

ただの執着と 自分の自尊心が満たされたらそれでよかったのかもしれない。

ほんとに自己中心なのは 私なのかもなぁと思う。

相手の気持ちは変えられないし 相手の思いは把握もできないし

相手の心持を変えることなんて不可能なんだから。

前を見て 自分の置かれた場所で 幸せを感じて生きていくのが

いいに決まっているのだよね。。

くだらない過去にとらわれて生きるなんて ほんと時間の無駄。

生きていることも とりあえず病気じゃないことにも感謝するべきだし

仕事もできていて 自分の思うように変えていけることもたくさんある。

そうだよなぁ。

そう理解して 笑顔で生きたらいいのに。

とりあえず 吐き出しに来た。

彼が私にいつも吐き出していたように。

私はゴミ箱なの? と聞いたこともあるくらい

彼はいつも何かしらの不満や不平を私に話していた。

私はそれを聞いて こうすれば? とかアドバイスなんてしてて。

私は彼にとって 大事な存在になりたかった。

結局 私が彼のゴミ箱にしかなり得なかったのかも。

自分がそういう風に対応していたのかも。

嫌われたくなくて 捨てられたくなくて

自分も弱かったのに 自分も聞いてほしかったのに。

結局 いい子になっていただけなのかもしれない。

嫌な時は 嫌だ。

辞めたい時は やめよう。。と言えなかった。

彼の心にこたえることで私はそこにいられただけ。

私が望んだら きっと壊れてしまっていただろう。

それがわかっただけで いいと思わなきゃなのにね。

そうだよね。

本当にそう。 

ない物ねだりはもったいない。

あるものに 満足して 大事にして生きなきゃね。

だけど 

いや だけどはもう書くのはやめよう。

とりあえず 書きたかった。

 

私はただ彼の記憶によい思い出として 大事な思い出として

残っていてほしかっただけ。

でも実際は 大したことじゃなかった。

記憶の片隅にはあっても

それは 些細な寄り道だっただけだった。

それがショックだっただけで

ただ 悔しいだけで

ただ 大事に思ってくれたら それでよかった。

ただ一言 あの時は楽しかったよ と言ってもらいたかっただけ。

あ それは言ってもらったなぁ。

じゃぁ それで満足じゃん。

それでいいのだ。 いいのだよ。

良かった。 明日からにこにこじゃん。

少しずつ忘れよう。

楽しかっただけ ただそれだけでも いいじゃん。