最近のこと

かってなブログ

労働保険の年度更新申請をしました。

厚生労働省管轄の

労働災害保険の年度更新をしました。

あ 珍しくお仕事の話を書いております。

小さな会社ですので

お金の出入りや労務関係のこと

そして色々な書類を作成して申請をする等々

小さな会社とは言え しなくてはいけないことは

それなりにあるんですよね。

女性の方が書類作成が得意?みたいな

いや うちの会社の場合

書類作成は お前の仕事だろー 的な感覚ですけれどもね。

 

さて 労働保険の年度更新の時期になりましたよね。

知っている方は知っている・・・でも知らない人にはまったくわからない

そんな話題でしょうか。

今年は雇用保険料率が変更になる可能性があるということで

一年を通じて同じ雇用保険料率を適応するのではなくて

一年の前半と後半の料率をそれぞれ算出する・・という方法なんですよね。

数字に関して言うと 千円未満の単位は切り捨て だとか

1円未満は切り捨て という扱いなのに

一か所だけ 1円未満の数字でも切り捨てせずに記入せよ という記入箇所が

あったんですよ。

もちろん? 申請書の記入方法にきちんと ちっさい字で書かれてありましたよ。

はい、確かにいろんな注釈と一緒にね。

でもね 確かめたくなるんですよ。私。

え?ほんとに? これでいいのかな?

労働基準監督署の職員さんに聞いてその場で記入してもいいですけど

私、本当に パニクル人間の小心者なので

その場で直したりって本当にハードル高いんですよね。汗。

それで コールセンターに電話して聞いたんです。

いや このコールセンター まったく電話が通じず。

ずっと保留音だったり 時間をおいてからかけるように。。というアナウンスも

時間帯によっては流れるほど混雑してるんですよ。

10分は待たされますよ。

スピーカーホンにしたまま 仕事をしながら

気長に待つのって かなりしんどいですよ。

事務所に一人ならいいんですけど 人がいるときは

うるさいだろうな。。申し訳ないなぁと遠慮しながら待ってました。

そして やっと通じたので

聞いてみたんですよ。

そしたらね 1円未満の数字は切り捨てです。ってオペレーターの方が

おっしゃったんですよぉ。

私 あ そうなんですね。。と納得したんですけど。。

いやいや ここに書いてあるんだよなぁ。注釈がさぁ。

って思ったので オペレーターさんにお聞きしたんです。

ここの数字だけ 切り捨てないで記入って書いてありましたよ?って。

そしたら 少々お待ちください 確認してまいります。。って。

しばらくしてから

「大変勉強になりました。お客様のいう通りでございました。」とのお返事頂きました。笑

 

いや 性格わるい?私???

そんなことないよね。

だって だって ちゃんと役に立ったよね?wwww

 

ってことで 実は厚生労働省のHP上のことも以前に

これってこうじゃないですか?って 私の直接担当の方に

お聞きした時も あちらが善処してくださったらしいのですよ。

 

私 クレーマーって思われてないよね??

つっこみおばさん って言われてないよね?

あ ちなみに 年度更新申請は6月1日から始まったので

2日に電話したのでこれからの人たちのためにはなったかな?

いや でもね

この数字 労働基準局の人は確認しない数字なのよ。

あくまてもこちらの申請の数字を正確だという建前の上に

成り立っている申請なのよね。

正直ものはバカを見る??のかもしれないけど

私はちゃんと 切り捨てないで 1の位は切り上げましたぞ。

文章を読み解く力が年々鈍くなっているけど

こういうお仕事をしている まだまだ頭の体操になっているかもなぁと

思うことにして また1年後の労働保険で奮闘したいと思います。

しかし 1年に2回も雇用料率を値上げするのもどうかと思うけど??

いい加減、私たち庶民から ちょこちょこ税金と称して

お金を巻き上げるのは やめてほしいです。

議員さんたちのなんとか維持費だとか 諸経費とか

もう少し削って国税に生かしたらどうでしょうかねぇ。

労働保険料 #クレイマー #切り捨てじゃない

 

 

 

 

かゆい からのぉ ゴシゴシ からのぉ ぷっくり からのぉ。 ギャー 変な顔の出来上がり。

友達にラインしまくって(笑

つぶれてしまいそうな心の声を

聞いてもらって。。

そしたら いつも慰めているはずの友達から電話が

かかってきた。

あはは。

こういう時は嬉しいものだ。

いつもは 聞く側なのだけど

きょうは 聞いてもらった。

電話している時に どうやら 無意識に目の周りとか

顔のあちこちをかゆみを感じて

ゴシゴシしていたらしく。。

目の上に違和感。

あら? 鏡を見たら

ぎゃーー なんだこの顔ぉぉ。

なんだぁ あの番町皿屋敷のおいわさんじゃーんかー

目の上はものもらいなのか?というくらいにぷっくり赤くなって

腫れているし。

目が半分くらいにしかあかない。

寝る前に 3年くらい前に皮膚科でもらったお薬をぬって

とりあえず 様子見よう。。と

目の周り べったべたになったまま就寝。

 

朝見たら とりあえずの赤みはなくなったものの

やはり わらっちゃうほどの まぬけな顔。

いや 腫れていなくても まともなのか?という顔だけどさぁ。

クリニックの予約をしていたから (主に花粉症と肩の痛み 

とりあえず 今の症状を言って 先生 たすけてくださいーーって感じで

診てもらって お薬を頂きました。

最初はものもらいかなって思って アイシャドウせずに行ったけど

アイシャドウは会社ですればいいか と思ったけど

そのアイシャドウの入ったポーチを忘れてきたから

今は のっぺりした顔のままの私であった。 やべー

ずっとサングラスしていたい気分だす。

社長は今日は事務所にいないし 誰もいないので良かったけど

目は垂れ下がったような感じだし

もしかして 下垂なんとかかな?

と思ったけど あのクリニックのお医者さん

目を見ることさえしなかったけどぉ。

皮膚科にも行った方がよかったかなぁ。

でも 仕事も行かなきゃだし。

いくら遅刻しますと言ってあっても

早くいかないとだれもいないから心配だしねぇ。

 

そして あちこちあちこち かゆくなって

蕁麻疹まではいかないけどたぶん

ストレスたまりまくってるみたいで

昔も肌に湿疹たくさんできたからまたそうみたい。

 

日曜日に母たちに会うので

心配かえちゃうのは何としても 阻止せねば。

早く 副腎皮質ぬって 治そう。。

それにしても かゆくても防御できるように手袋でも

しようかなぁ。 赤ちゃんみたいに。

 

しんどいなぁ。

どゆこと?誤解?

先生から

めっちゃ怒っているLINEきた。

 

夜分にすみません。

と、低姿勢だったが

途中からどんどんヒートアップして

最後には私の話をグループラインでしないで

ください!

だって。

 

 

誤解だよぉ。。

 

先生のこと

尊敬してるのに。

頭きたから

ここに書いて鎮静するのであった。

見切りつけた。すっきりした。

昨日遅く

趣味で習っている語学の先生から

ラインが入って

逆切れ?された。

というか めっそうもない そんな先生に失礼なこと言わないよ?

なのに先生がめっちゃ誤解していて

× って私のことですか??

って。

グループラインで私の話をするのは今後やめて下さい。

とかなんとか。。

まったく意味がわからず 口あんぐり ぽかーん。

しょうがなく?その場をおさめるために

×と書いたのは 私を戒めるための言葉ですが

誤解されたのでしょうか? 以後気を付けます。と書いた。

しかし 返事もなく

グループの他のメンバーの生徒さんも

誤解ですよ?

そんな風に取るのは間違ってますよ?

といっても なしのつぶて。

朝にでも すみません とか あやまりのラインでも来るかと思ったけど

午後になっても来ないわね。

 

どう考えても納得いかないので

私 ずっと考えていたことを決行しようかと。

つまりは もうこのグループラインにいるのをやめようかと思ったので

違う先生を探すことにしました。

実は数年前にも悩んでいた時期があって

その先生にも その勉強の仕方はどうなの?って言われた。

会話ができないね。 書くのはできるけど。

会話できないのに 難しい文法を勉強しても意味ないのでは?と

ショックなことを さらっと言われて

ちょっと面食らって

その先生につくのをやめた。

多分 本当のことを言われたから面食らってしまったのだけど。

それからは たまに先生の投稿でお話ししたりという接触はあったけど

ここ3年くらいは いいね をするくらいの仲なので

また先生に連絡するのもどうかなぁ 私よりも年上の方だから

もう教える気持ちもないわね。 なんて言われちゃったら とか思ったけど

思い切ってメールしたら

すぐに電話がかかってきた。。。。。。。

そして 二つ返事で いいですよって 面倒みますよって

 

涙が出ちゃった。

ありがとうございますって 言って

今の担当の先生からの心無い言葉に自分がどれだけ傷ついていたかを

再認識できた。

 

そうだ もう やめよう。

一緒に学んでいる仲間の人たちは素敵だけど

もう続けるのは しんどい。

あの先生に習うのは もうやめたい。

さようなら。。S先生。

もうずっとリモートだから お会いすることもない。

とりあえず 来月まで授業は受けないと月謝の関係でしかたないけど

もう その後はない。

そして この忌まわしいラインから 私は脱退するのだ。。。

その日まで じっと耐えよう。

月謝は少々高いが

もうそんなこと 言ってられない。

もうやめよう。 我慢するのも いい顔するのも

平気な顔をするのもね。

誰かに報告したいのだが まだ周りの人には言えないから

悪い影響を及ぼしても行けないしね。

だから 黙っている。

そして その日が来たら さようならって言おう。

だまって 脱退しよう。

 

でも 上達してやるー ぜってーみかえしてやるぜー 笑

 

2年振りのランチ会

やっとコロナ感染者が落ち着いた~というタイミングで

皆の日程を調整して そして ランチをしようとお店探しをして

ここならどうかしら・・・と またみんなにラインで相談して

それで予約~したのだけど

 

私たちの集まりは6人。

マンボウの間は 多くても4人までの会食しかダメだったので

結局 日程調整やら予約やらしたけれど

ランチ会は キャンセルになった。

こっそり 個人的にランチしちゃおうかーーというぬけがけの

パターンも頭に浮かんだけれど

感染者が右肩上がりに増えて行っていた状況だったので

いい大人になってしまい我慢した。

マンボウも解除になったので 早速また日程調整をして

前回とは違うお店で いや 

きっとホテルなら 確かだろうーーということになって

ホテルビュッフェでのランチ会に決定した。

以前 ホテルビュッフェをしたのだけど

もうとにかく 誰もテーブルに座ってない時もあったりして

あわただしいし 落ち着かないし で ビュッフェは避けていたんだけどね。

思ったよりも 品数も多かったし

味もよかったし とにかくこじんまりしたホテルだったので

移動距離も短いし いいチョイスだったと思う。

ただし、足が悪いお友達がいたので

もっと 食べ物が置いてある近くのテーブルにして欲しいと

事前にお願いしておけばよかったと反省した。

その分 私 重たいものをはこんだり 

飲み物を運んだりもしたけど・・・。

でも 申し訳ないと思わせてもいけないしで

次回から お席のことをきちんとホテルのスタッフさんに

お願いしなきゃと思っている。

そうそう 来月からビュッフェのお料理のメニューが変わるらしいので

また行こうってことになっている。笑

ホテルだから いいお値段はもちろんするけど

コロナ対策もしているし、 お味もいいし

お料理も スイーツも充実しているし

なんたって 足の悪い友達の家から車で20分くらいらしいので

気兼ねなく外出できるみたいで 誘い易い場所だなって思った。

 

2年もたってみると

それぞれにいろんな環境が変わっていたり

生活が変わっていたりしていた。

私はほとんど変わったことがないのだけど・・・汗。

そうそう みんなでお揃いで持ちたいと

みんなにお揃いのものをプレゼントしたの。

私の給料からすると 少し高めのものだけど

あとでガラクタにはならないものだし

ちょっとした小物だったので 気に入ってもらえていると思うのだ。ガハハ

私はビュッフェなのに

ハイウエストのパンツを履いて行っちゃって

すべてのメニューを制覇できなかった・・笑。

途中で疲れてやんでしまったし

帰宅したら お腹すいてるし。

でも みんなはしっかり食べて

今夜は家族の夕食は作っても 自分は夕食抜きよ~だなんて

言ってた。。。笑

あたしゃ しっかり食べた・・・

なんなら おかわりもしたっちゅーの

それでも いい仲間とのおしゃべりや お食事は最高だーー

なかなか本音でしゃべれない私だけど

あの仲間だけは 聞いてーって言える。

これからも なかなか本音が言えない私の性分だが

伝えていけたらなって思う。

さて 次回はいつにするか。

そして 何を食べるのか。

いや またここのホテルに来そうな予感がする。

飽きるまで 通おうかしら?

でも 平日だけなんですぅ。

だから またお仕事お休みもらって

社長に ぶぅぶぅ言われちゃうのを覚悟しなきゃなのだーー

HSPかもしれないなぁ。

お風呂に入る時

湯舟につかりながら

動画を見ていることが多くなった。

これは旦那さんの影響なのだけれど

マネしてみるとこれがなかなかいい具合。

おすすめに出てくる動画の中に気になるワードが出てきた。

初めて聞いたり目にするワードだったが合点がいった。

HSPのことだ。

Highly Sensitive Person の略だそうな。

この言葉は一般的に知られている言葉なのだろうか?

いったいなぜ 私におすすめするという動画に出てきたのだろうか?

HSPの説明をしている人たちが発する言葉に

いちいち同意してしまったし、私の行動のせいで

たぶん 旦那さまに迷惑をかけてしまっているのだろうなぁと

思ったりもした。

ごめんね。旦那さん。

だけどね 私がHSPになる要素を

旦那さん本人が持っているとも言えるなぁ とも思う。

彼は自己中だし マイペースだし

声も大きくて 威圧的な態度だし

自分ではそうは思ってないかもだけれど

圧倒的な怖さがある。

実は優しいところもあるし 笑顔もかわいいのだけれど

まぁ なんていうか ツンデレモンスターって感じ。

時々 豹変することもあって どこが沸点なのだろう?と考えながら

恐る恐る会話をしている自分がどこかにいるのも確かだ。

まぁ 以前にぶっとばされたことが数回あり

入院する騒ぎもあったから 普通の人ではないなぁとは思うけれど。。

 

私も自分の性格が育ってくる際に

形成されたのだろうなぁとは思う。

そして 時々 疲れたなぁ と思うこともある。

そして なんで人から良く見られたいのだろうか?と

自分の素を出して合う人だけと付き合えばいいじゃないか と思ったりもする。

ただ 友達と話していて

こういう気持ちなのだろうなぁって気が付いてしまうと

ほおっておけなくなって 色々悩んでしまう。

しかし 当の本人は悩むこともなく

え?そうだったっけ? なんて言われることもあるんだなぁこれが・・・。

 

とにかく 外から帰ってきて

自分のうっぷんやストレスを 旦那さんにぶつけることなく

昇華していくようにしていかなきゃなっていうことは思う。

じゃないと 旦那さんがつぶれてしまいそうだからね。

そう 彼はあまり包容力があるタイプじゃないから。

優しいけど 自分のことでいっぱいいっぱいになると

現実逃避するタイプだからね。

そうすると もっと 面倒くさいことになるしね。

あはは。。自分本位だなぁ 私。

さて 明日は久しぶりに平日にお休みをもらって

友達とランチ会の予定。

私が予約をしたんだけど 

グループの中でなーんにもしない人っていて

いつも乗っかってくるだけの人がいるのだけど

そういう人って 自分以外の人がいつも動いてくれる人なんだろうなぁって

そう思う。

お嬢様体質っていうのかな。

私は仲間が悩んでたりするとついつい 予約しておこうか?

電話しておこうか?って言っちゃう。

たまには予約しておいたよ。。とか

ここ行ってみない? とか誘われたいなぁ。笑

それがないのは 手下体質なのかなぁ。涙。。。。。。

 

医師との出会い

父を幼い時に亡くした私は

人の命のはかなさを知っている。

お父さんの病院に行くよと伯父と叔母に連れて行ってもらった時

父はすでに棺に入っていた。

いつもの父の姿しか想像していなかった小学3年生の私には

あの時のショックは 裏切り とも 悲しみ とも 落胆 とも違った

心に大きな穴が開いたとでもいうのかなぁ 

あの場所で お父さん死んじゃったじゃん 元気になって戻ってくるって言ったのに

なぜ動かないの? なぜ黙ってるの? いつもあのお父さんじゃないじゃん。

叫ぶことでもできたら 悲しみをもっと外に出せたなら 

今の私のような 我慢 してしまう性格にはならなかったかもしれないなぁと思う。

一番下の妹は まだ幼稚園にもなっていなかったので

その場の空気など読めるわけもなく

お父さん いま 動いたよ ねぇ ねぇ。。

そんなことを言っていたことを思い出す。

そして 周りにいた大人のすすり泣く声が聞こえたことを

かすかに覚えている。

私は我慢してしまった。 いや ショックすぎて 悲しすぎて涙も出なかった。

事前に 大人の誰かから お父さんはね お空に行ったんだよ 

童話に出てきそうな 優しそうな叔母さんでもいてくれたら

ちゃんと状況をしっかり説明してくれる人が1人でもいてくれたなら

私はこんなに ずっと 長い間 裏切りみたいな ショックを抱えて生きて行かなくても

よかったのではないかとさえ思ってしまう。

小学3年生だった私は その時に 大人を悲しませてはいけないんだ

特に憔悴しきった母に心配をかけてはならないのだ

そして 祖父がいつも あなたは長女だから お母さんのお手伝いをしなさい

といつも会うたびに言われていたことがとても重荷だった。

私は祖父に同じことを言われるたびに 嫌悪感さえ感じてしまっていた。

まさか 父が治ることのない病気だと知らなかったので

また 以前のような家族に戻れると思っていたので

もし 大人が きちんと 私に状況をしっかり伝えてくれていたなら

もっと 私のことを 私の気持ちに寄り添ってくれている人が1人でもいたなら

私は少しは 子供らしく生きられたような気がする。

まぁ 自分で自分を奮い立たせて生きてこれたのは お父さんが私の味方で

私はお父さん子であったからだったかもしれないが。

 

だから 私は 子供たちには本当のことをしっかり伝えようと思っている。

心配かけるから言わなくてもいいのでは? と言われることもあるが

隠されて 一大事になったときに 子供たちはどう感じるのかがわかるような気がするからだ。

心配をかけてしまうことになるかもしれないが

子供を信じて 重大な話をしているのだよ ときちんと伝えたい。

そして どう感じるのかは 子供次第だとも思う。

私は 母に対しても 心配してあげたいし 何かあったら手を貸したい。

その思いを子供にも 感じてもらいたい。

父の命日は22日でした。

母は命日よりも 父の誕生日にお祝いをしてあげたい と言うので

命日にラインをしたり電話をしたりすることは自粛するようになった。

しかし私は 父をしのぶ日にしたい。

父はもっと生きたかっただろうし

志半ばだったとも思う。

好きな野球ももっとして活躍したかっただろう

仕事もきちんとする人だったから

きっと昇進して 信頼される上司になっていたはずだ。

父の命日に思うことは

人の人生はいつ終わるかわからない。

だから したいことや 伝えたいことは 先延ばしにせずに

したいと思ったことはすぐにしよう。

伝えたい言葉はすぐに伝えよう。

悲しい時は 我慢しないで 涙しよう。。

我慢しても わかってもらおうなんて無理だから

自分から発信しよう。

そして 前を向いて 歩いて行こう。。