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かってなブログ

医師との出会い

父を幼い時に亡くした私は

人の命のはかなさを知っている。

お父さんの病院に行くよと伯父と叔母に連れて行ってもらった時

父はすでに棺に入っていた。

いつもの父の姿しか想像していなかった小学3年生の私には

あの時のショックは 裏切り とも 悲しみ とも 落胆 とも違った

心に大きな穴が開いたとでもいうのかなぁ 

あの場所で お父さん死んじゃったじゃん 元気になって戻ってくるって言ったのに

なぜ動かないの? なぜ黙ってるの? いつもあのお父さんじゃないじゃん。

叫ぶことでもできたら 悲しみをもっと外に出せたなら 

今の私のような 我慢 してしまう性格にはならなかったかもしれないなぁと思う。

一番下の妹は まだ幼稚園にもなっていなかったので

その場の空気など読めるわけもなく

お父さん いま 動いたよ ねぇ ねぇ。。

そんなことを言っていたことを思い出す。

そして 周りにいた大人のすすり泣く声が聞こえたことを

かすかに覚えている。

私は我慢してしまった。 いや ショックすぎて 悲しすぎて涙も出なかった。

事前に 大人の誰かから お父さんはね お空に行ったんだよ 

童話に出てきそうな 優しそうな叔母さんでもいてくれたら

ちゃんと状況をしっかり説明してくれる人が1人でもいてくれたなら

私はこんなに ずっと 長い間 裏切りみたいな ショックを抱えて生きて行かなくても

よかったのではないかとさえ思ってしまう。

小学3年生だった私は その時に 大人を悲しませてはいけないんだ

特に憔悴しきった母に心配をかけてはならないのだ

そして 祖父がいつも あなたは長女だから お母さんのお手伝いをしなさい

といつも会うたびに言われていたことがとても重荷だった。

私は祖父に同じことを言われるたびに 嫌悪感さえ感じてしまっていた。

まさか 父が治ることのない病気だと知らなかったので

また 以前のような家族に戻れると思っていたので

もし 大人が きちんと 私に状況をしっかり伝えてくれていたなら

もっと 私のことを 私の気持ちに寄り添ってくれている人が1人でもいたなら

私は少しは 子供らしく生きられたような気がする。

まぁ 自分で自分を奮い立たせて生きてこれたのは お父さんが私の味方で

私はお父さん子であったからだったかもしれないが。

 

だから 私は 子供たちには本当のことをしっかり伝えようと思っている。

心配かけるから言わなくてもいいのでは? と言われることもあるが

隠されて 一大事になったときに 子供たちはどう感じるのかがわかるような気がするからだ。

心配をかけてしまうことになるかもしれないが

子供を信じて 重大な話をしているのだよ ときちんと伝えたい。

そして どう感じるのかは 子供次第だとも思う。

私は 母に対しても 心配してあげたいし 何かあったら手を貸したい。

その思いを子供にも 感じてもらいたい。

父の命日は22日でした。

母は命日よりも 父の誕生日にお祝いをしてあげたい と言うので

命日にラインをしたり電話をしたりすることは自粛するようになった。

しかし私は 父をしのぶ日にしたい。

父はもっと生きたかっただろうし

志半ばだったとも思う。

好きな野球ももっとして活躍したかっただろう

仕事もきちんとする人だったから

きっと昇進して 信頼される上司になっていたはずだ。

父の命日に思うことは

人の人生はいつ終わるかわからない。

だから したいことや 伝えたいことは 先延ばしにせずに

したいと思ったことはすぐにしよう。

伝えたい言葉はすぐに伝えよう。

悲しい時は 我慢しないで 涙しよう。。

我慢しても わかってもらおうなんて無理だから

自分から発信しよう。

そして 前を向いて 歩いて行こう。。